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「普通の幸せ」が続くように願いたい。
あなたの人生を、あなたらしく。あるがまま、ありのままに。

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フィジカルケアトレーナーの工藤美和です。

この度、新しいプラットフォームを公開することになりました。なぜ、これまでの活動ではなく、あえて新しい「カタチ」にしようと思ったのか。立ち上げにあたり、長文ですが想いを書かせていただきます。

それが「病気」だと知らなかった会社員時代

私は、大学を卒業後、会社員として働き始めたのが地元のIT企業でした。技術職に就き、1年目から残業続き。夜遅くまで働き、休日出勤も多かったように記憶しています。バスの最終便に間に合わなくなったため、通勤は自家用車に変わり、働く環境は自社から顧客先で過ごすことがほとんどになりました。

働く環境の特徴は、窓が少なく開けることはほぼなく、精密機器を扱うため空調温度は年中一定。始業から終業までパソコンの前にずっと座りっぱなし。水分補給は給湯室でほんのちょっとだけ。自社に勤務していた頃は、事前に準備したものを食し、偏ったものになりがち。

出向先では社員食堂があったので、毎日の献立をフライングで見るのが楽しみでした。日が昇って出社、退社する頃には外は真っ暗。残業は当たり前、たまに午前様になることも。寝る時間が遅くなるので、睡眠不足がちでした。今でいうと、かなりブラックな働き方かもしれません。

自身の体調はどうだったかなぁ・・・と振り返ると、まず、就業中は制服。これが機能性に欠けていて。素材がイマイチ、スカートの丈もちょっと短め(笑)上から羽織るものは薄手のジャンバー、足元は低めの黒のヒールでした。暑い季節は冷房がかかり涼しいのですが、寒い季節は精密機器を扱うので温度を高く設定できず寒さをどうしのぐかという問題がありました。

服装を着脱して温度調節ができないので、やったことは制服の上にカーディガンを着て、足元は厚手の黒のタイツ、デスクでは膝掛けが必須。それでも寒くてカイロを持ち歩くことも。給湯室で温かいお茶を飲んでは、少しでも身体の中から温めて寒さをしのいでいました。

身体の不調としては、偏頭痛や腹痛があり、市販薬を常備していました。勤務の都合上、体調を崩し病院で診察をすることはほとんどしませんでした。若さ故に、我慢できる症状は我慢して乗り切っていた感じです。

結婚後、神奈川に移住してから、生活環境や職場環境がガラリと変化したせいか、かなりの頻度で婦人科を受診していました。生まれ育った土地を離れ、どこの病院がいいのかも分からず、近くの病院というだけで通っていました。症状もなかなか改善せず、5日間入院したこともありました。また、異常発汗がひどく、なぜそのような症状になるのかも分からず、手汗をかいたまま人と接するのが嫌でたまりませんでした。

これらの不調が続いた結果、10年半務めた会社を辞めることになりました。今だから振り返ってみると、出てきた症状が「不定愁訴」であり、「病気」であり、症状を改善する策があること、もしくは未然に防げる策があることを全く知りませんでした。

上司からの一言で学ぶことを決意

会社を辞めると決めた当時は、ピラティスが日本に伝わり、都内でボディワークが流行り始めた頃。「セルフケア」なんて言葉は、私の耳に入って来ず、当然知る余地もなかったように思います。

退職するにあたり、出向先の上司に言われた言葉を今でも覚えています。
「自分の身体を自分で整えることを学んだらいいよ。」

上司の奥様が、アロマを使った足裏ケアの資格を取得したのちお店で働いていて、その学びが自分自身の体調管理に活かされていると話してくださいました。上司のアドバイスがなければ、その後地元に戻って何かを始めようと思わなかっただろうし、もしからしたら前会社に復職していたのかもしれません。そのときの私にとっては、上司からの最高の送り出しの言葉をいただきました。気づかせてもらい、今でも感謝しかありません。

がむしゃらに働き、がむしゃらに学んだ7年間

31歳で会社を退職し、33歳で現在の職種に出会いました。きっかけは、地元で初めて開かれたピラティスの講座。週に1回の習い事を始めて、どんどん楽しくなっていきました。

ある日、先生からのお知らせで「こんな勉強会があるから参加したい人がいたらどうぞ。」というお声かけがありました。それが、大分県初開催のピラティスのインストラクターの養成講座でした。「やってみたい!」という直感だけで申し込みましたが、のちに後悔。養成講座を受けた6名の中では一番出来の悪い生徒。「場違いなところに来た・・・」と思いつつ、連続5日間の講座と認定試験を無事に終えて、晴れてインストラクターとして認定されました。実は、これが私の運動指導者としてのスタートでした。

高校・大学・専門学校にてスポーツトレーナーという専門性に特化した学びを受けたのち働いている人たちがほとんどの中、私は前職がIT企業勤務、そして主婦から転職だった故、33歳なって一から学ぶことばかりでした。所属していたクラブの先輩について回り、365日ほぼ休みなく現場で働く日々。

2年間下積みをしたのち、フリーインストラクターとして独立しました。そこからは、もっと指導者としての学びを深めるべく、全国各地で開催されるセミナーを受講し、所属する団体の資格を最上位まで取得しました。それが知識・技術・経験の自信につながっています。

コロナ禍で感じたこと、見えてきたこと

昨年、コロナ禍の中、現場で働く人たちに直接お話を聞く機会がありました。もちろん、感染対策を行った上での面会でした。対象は、20〜50代の保育園で働く女性たちでした。その時、私が絶対に聞きたいと思っていたこと。
「日常生活の中で困っていることや不安に思っていることは何ですか。」という内容でした。

お会いした方たちから出てきた言葉は、

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「生理痛がひどくて、いつも市販薬を飲んでいます。どうすれば改善しますか?」
「肩こりがひどくて。何かいいストレッチはありませんか?」
「腰痛がひどくて整骨院に通っています。仕事中はコルセットを巻いたままです。」
「病院での検査を怠っていたら、婦人科系の病気を患い、今度手術することになりました。」
「不調があったとき、誰に相談したらいいか分かりません。どこか紹介してもらえませんか?」

現在、さまざまな規制があるため、最低限の活動は仕事と家の往復だけ。帰宅後にやることは、疲れたのでただ眠るだけ、ネットサーフィンや動画配信を見てストレス発散、少数派の運動習慣がある方は通っていたジムに行けなくなってしまい、おうちでちょっとスクワット。週末に友だちとリアルに会って語らう、買い物や旅行へ行くなどができなくなりました。皆さんの楽しみだった趣味嗜好が奪われてしまいました。また、自身の不調を改善するための時間や手段を奪われてしまいました。

ただ、情報を仕入れる時間や手段は身近にあります。スマホをお持ちの方が多く、仕事の空き時間やおうちで過ごす際にはネット検索が可能。いつでも、どこでも、誰でも、簡単に欲しい情報を手に入れることができます。
しかし、その情報が最新なのか、正しいのか、自分に適しているのか・・・。情報過多によって、情報を得る側にもスキルが求められる時代となりました。

多くの不定愁訴は、自覚症状があり、医師の診断を仰いでも原因が分からないものがほとんど。実はその改善策として、心と体の両面からアプローチすることで、最適なケア方法が見つかり、症状を改善することが期待できるのです。自ら心と体を整えて、心地よくなれるケア方法があり、しかも毎日の習慣にすることが可能なのです。私は改めて、不安や悩みを持っている人たちが多く存在することを再確認しました。そこで、今の時代だからこそ、私だからこそできることはないかと考えました。

活動の原点である「そっと寄り添う」イメージ。体温を感じる距離で、温かく見守る。全ての答えは、目の前にいる人たちが持っているので、気づきと体感を得て喜んでもらえる。今まであるようでなかったサポート。最新の正しい情報をつなぐためのプラットフォーム。

今までの主な活動は、多くの方たちの前で健康や運動に関してお話しさせていただきました。それも私のライフワークの1つです。ですが、これからは目の前にいる大切な人、一人ひとりの不安や悩みに沿った情報や商品をセットでお届けしたいと強く思いました。そこで、このプラットフォームを立ち上げ、皆さんに役立つ情報と商品を同時に届けていきたいと考えています。

一人でも多くの方に、「これに出会えてよかった」「毎日が楽しくなった」と喜んでもらえる、そんなプラットフォームにしたいと思っています。